あまりにも最悪なことが続いている。もはやそれは戦争ではなく、世界そのものの崩壊である。なぜならそれは他者性の消去抹殺だからである。
あまりにも肥大した「わたし」が、「わたし」の障害となる「他者」を消去抹殺している。
「わたし」さえよければ邪魔な「他者」は消す。だが、「他者」が消えるということは「世界」が消えるということでもある。
かつて「神」のような圧倒的な他者が「世界(感)」を生成していた時代ではない、神無き時代にこの世界を生成するのは「他者」である。
それは「身近な他者」かもしれないし「遠い他者」かもしれない。そして「他者」は時に「わたし」にとって理解不能で、「わたし」を邪魔する障害に感じることもある。
そして時に争い諍いすら起きる。だが、その「他者」こそがこの「世界」を生成し、その「他者」こそがこの「世界」の意味や価値を顕す。
仲良くしなくていい、ケンカしていてもいい、理解しあえなくてもいい、関わらなくてもいい、共生も共存もしなくていい。
だけど、他者を消去することだけはあってはならない。「他者」の消去は「世界」の消去であるからだ。
資本主義の肥大化はこの「他者消去=世界消去」をもたらした。
「世界」を生成し、意味づけ価値づけるのが「カネ」ならば、「他者の抹消」が起きるのは当然である。
「持たざる者」に意味も価値も無いのだから。そして全てが「カネ」によって「交換可能」であるならば、「交換不可能」である「他者」は抹消されざるを得ない。
今世界で不当な戦争を起こし続けている大統領がビジネスマンであることは象徴的である。
もはや起きていることは「わたし」と「他者」との争いである戦争ですらなく、「他者消去」である「抹殺」であり「世界消去」である。
その「他者消去」は現在の世界の大きな領域でも、社会の小さな場でも進行している。
今この場にミサイルは飛んでいない。だが、「他者消去=世界消去」という事態は進行している。
昨今選挙で大勝ちした総理大臣の振る舞いを見ればわかるだろう。そして昨今の選挙結果はこの社会の有権者が「他者消去=世界消去」を支持した結果である。
邪魔な「他者」さえいなければ自分たちの生活は良くなる、と。
外国人という「他者」を排斥するような政策や政党が支持されているのもその根源は「差別意識」ではなく「他者消去」の願望である。
また、自滅したリベラル野党は当選のために自身の「他者性」を放棄したがために支持を失い自壊した。自身の他者性を抹消することもまた即世界消去に繋がる。
確かに、「他者」と関わるのはめんどくさい、わずらわしい、骨が折れる、何より「わたし」が変化してしまう。
また、「わたし自身」が「他者」であることは、時に嫌われ、排除され、迫害されることすら起きる。
だからといって「他者消去」をしてしまえば、「世界」そのものが消えてしまう。
今すぐこの世界で起きている暴虐を止めることはできないのかもしれない。
だが、この社会で、「わたし」の身近で起きている「他者消去=世界消滅」を止めることはできるのではないか。
現在進行中の「世界消去」を止めるには、まず自身が「他者」であることを厭わないこと、そして「他者の他者性」を復活させることである。
それは確かに「わたし」にとっては苦痛なことだが、「他者性」がこの世界に立ち上がる時、「わたし」でもない「あなた」でもない第三の何かが立ち上がる。
それを「こなた」といっても「かなた」といってもいいが、「こなた」「かなた」は新生された世界である。
たとえそれが小さな小さな誰も知らない世界であったとしても、この身近な世界から、世界を復活させることはできる。「他者消去=世界消去」を反転させることはできる。
希望はある。今世界にある「絶望」こそが、全き「他者」だ。そこに、「他者」がいる。それが希望だ。だから世界復活の希望はある。
大きな絶望ではなく、小さな小さな絶望を、たいせつに、無かったことにせず、ちいさくちいさく、在らしめて。そのちいさな絶望から、そのちいさな他者の再生から世界は復活する。
20260306記す